去年は血液透析から腹膜透析に切り替えるにあたって手術とトレーニングで3週間ほど入院していたので、その間に西村京太郎のトラベルミステリーを大量に読んだ。
退院してからは、例年どおりの遅読ペースで、主として積ん読本を今度こそ読み通そうと頑張った。
中でも、気に掛かっていた本が中心となった。
だから、発表当時、傑作との呼び声が高いものばかりで、今読んでも、どれも甲乙つけがたく、しぼりきれなかったので、15冊ほどリストアップした。
ベスト3を選ぶなら、SF,ミステリ、政治、純文学というジャンルごとに決めざるを得ないだろう。
1 暗殺の政治史(リチャード・ベルフィールド)
2 HHhH プラハ1942年(ローラン・ピネ)
3 悩み多き哲学者の災難(ジョージ・ハラ)
4 宇宙兵志願(マルコ・クロウス)
5 亡命詩人、雨に消ゆ(ウィリアム・H・ハラハン)
6 重力が衰えるとき(ジョージ・A・エフィンジャー)
7 スリーパーにシグナルを送れ(ロバート・リテル)
10 コンビニ人間(村田沙耶香)
11 なぜ日本は中国のカモなのか(石平、李相哲)
12 特捜部Qアサドの祈り(ユッシ・エーズラ・オールスン)
13 狼たちの城(アレックス・ベール)
14 スターリン暗殺計画(檜山良昭)
15 警官嫌い(エド・マクベイン)
どれ一つ捨てるに忍びない傑作ばかりで、一つ一つ語れば長くなる。
中でも入院中に、まず、1の「暗殺の政治史」を読んだことが、読書の基調と言うか、傾向を決めたような気がする。
つまり、コロナ禍で、その発生源をめぐって、一昨年から去年の5月頃まで議論が戦わされたが、その経過は、大雑把に言うと、ある説が唱えられ、それに対し、まず陰謀論だという言説がまかり通り、やがて真実だという議論が高まり、最終的に疑いがあるということで議論の決着がつけられたことがあった。
そのコメントをするとメディアの検閲に引っかかるので、私の見解を述べるのはやめるが、真実とは何かということは、私が長年課題にしてきたことでもあり、ちょうど見解の分かれることを取り上げている作品を無意識に選んだような気がする。
この歳になってまだ真実とは何かなんてことを考えるなんてアホみたいだが、私は自分の真実について疑っているわけではない。
私は他人の真実について映画「ミッシング・レポート」(原作は3の「悩み多き哲学者の災難」)の刑事と同じように考える。
すなわち、極めて非文学的だが、真実とは「証拠が語るものだ」と。
いかに平気で主観的見解を真実と声高に主張する人が多いことか。
今年もよろしくお願いします。
去年は父が亡くなったので、挨拶はこれぐらいしかできないが、例年どおり去年見た映画ベスト3をしてみようと思う。
毎年100本見ることを目標にしていたが、去年から一日4回の腹膜透析生活に入ったため、あまり映画は見られなかった。
5時間おきの透析ということで、落ち着いて映画など見られないのだ。
まあ、慣れてきたので、その分今年のお楽しみと言うことか。
あっそうそう、藤井君の将棋は透析しながらもズッと見ていたな。
「アゼルバイジャンのアウトドア・クッキング」のおばさんや「トラック野郎USA」のおじさんのユーチューブも。
とにかく、というわけで映画は全部で18本しか見ていない。
その中でも、三本を選ぶとなると、これが結構なかなか難しい。
1 「ノマドランド」(20年、米、クロエ・ジャオ)
これは文句ないだろう。
リーマンショックで会社は倒産、社宅を追われ、夫は病死、なけなしの家財道具をボロのSUVに詰め込み、放浪する主人公。
彼女がたどり着いたのは、よく似た境遇に陥った放浪者の群れ(ノマドランド)だった。
ほとんど実際の放浪者(ノマド)ばかりが登場する映画。
久しぶりに感動した。
2 「デッド・ドント・ダイ」(19年、米、ジム・ジャームッシュ)
ビル・マーレイが小さな田舎町の老保安官役で出てくるゾンビ映画。
村中の親しい人々がゾンビ化していく中で、最後まで助手と共にゾンビと戦おうとするのだが、それは絶望的な戦いだった。
まあ、これは、ノリにノッたゾンビ・コメディだな。
愛する人がゾンビとなって襲いかかってきたら・・・困るよな。
3 「ずっとお城で暮らしてる」(19年、ステイシー・バッソン)
原作は「山荘奇譚」で有名なシャーリィ・ジャクスンの同名小説。
主人公は、ウィリアム・フォークナーの「エミリーに薔薇を」のエミリーを、美人で精神異常の姉と二つに割ってもっと膨らましたような人物で、おそらく主人公の二面性を表しているのではないか。
1にせよ3にせよ、孤独な女性の魂を描いている点では共通している。
別に孤独な女性が好みというのではないが、一般的に孤独というのは人間の有り様の本質と思い共感出来るからだ。
去年は、コロナ禍の不安からか、社会を逆恨みしたような孤独な男性の異常な犯罪が目立った。
今年も日本を取り巻く内外の状況は厳しいが、個人的にもなかなか厳しく、5年後の生存確率50%の1年を使ってしまったが、少しでも長生きが出来るよう体力の回復に努めたい。
T大病院を退院するとき、内科の女医さんが来て、ピロリ菌の検査結果を持ってきた。
わずかだが、ピロリ菌があるが、治療するかと聞かれ、この際、治療が必要なものはすべて治療しようと思い、治療をお願いした。
一週間ほどの投薬でピロリ菌が消えていればOKだと言う。
退院前のT大病院では最後の透析を透析室の部長のK先生が「私がする」と直接穿刺をしてくれたが、1回目何と失敗し、「出しゃばって済みません」と恐縮していた。
退院には、妻と息子に来てもらった。
私が意外に元気そうなので、驚いたようだった。
体調は確かにいい感じだが、まあ、透析前と較べてということだろう。
1月8日には、T大病院では、心臓のカテーテル検査があった。
年末も押し詰まっているので、予定が取れなかったのだ。
その前に1月2日にK病院でシャントの風船手術をした。
まだ1ヶ月も経たないのに、早くも目詰まりを起こしているようなのだ。
手術は簡単で30分ぐらいで終わった。
ヒドイ人になると3ヶ月に一度この手術をしている人がいるらしい。
次は、再びT大病院の心臓内科で心臓カテーテルの検査だが、ちょうどその入院日、K病院での透析の日と重なっていたので、透析を午前中にして貰い、午後、T大病院に入院することにした。
入院の日は、前年の12月の末に予約しておいた。
また息子に送って行ってもらい、午後3時頃、入院手続きを済ませ、勝手知ったる東病棟の5階の病室に落ち着いた。
手術当日、紙パンツが必要とのことで、1枚入りパンツと翌朝の朝食のパン(手術後12時間絶食ゆえ朝食抜きなので)を売店で買ってきた。
若い女性看護師が「下の毛を剃りましょうか」と言うので、「自分でする」と断った。
カテーテル検査は、部分麻酔で約1時間程掛かった。
退院する前に手術医からの説明があり、心臓に行く血管に目詰まりはないが、左心房の収縮が弱く、通常の人の半分くらいだという。
ペースメーカーを入れていた父の遺伝だと思う。
心臓内科のS担当医から月1で通院せよと告げられた。
退院日の土曜日の朝に久しぶりに透析をT大病院で受けたが、女性の看護師以外知った顔はなかった。
退院は、また息子に来てもらった。
再び、K病院での火木土の血液透析の日々が続いた。
患者同士あまり話をすることもなかったが、顔なじみが出来、それぞれの抱える身体上の問題もわかりだし、血液透析中を快適に過ごすコツのようなものも掴めだしたが、日日次第に血液透析を続けることに苦痛を感じるようになった。
火木土の午後、血液透析のため、前後1時間拘束されること、血液透析1時間前に痛み止めのテープを貼り、太りすぎた体重から標準体重を引いて抜く水の量を決め、4時間ベッドの上で腕を曲げたりせず、固定していなければならない。
何より、毎回2本穿刺するのだが、少し痛いのはともかく、こんなに同じ所を太い針で穿刺して良いのだろうかという疑問に襲われる。
また、血液透析の最中、30分おきに血圧を自動計測するのだが、だいたい高くなりすぎるのだ。
自分の心臓で血液を送り出すので、ある程度血圧が高くないとダメなのだが。
しかし、それだけ心臓に負担を掛けているという事だし、ただでさえ心臓に不安がある私には心配な事この上なかった。
血液透析中、カーリングの中継やミュージカル映画のTV番組を見ていると、血圧が下がることがわかった。
あるとき、血液透析が終わり、止血したところ、それが十分でなかったのか、血液が吹き出し、ベッドを汚したことがあった。
そして、その頃、透析を始める前に妻から「わたしも協力するから」と勧められた腹膜透析へのあこがれがつのり始めた。
「緊急避難的に血液透析をし、体調をしっかり整えてから、腹膜透析に移行することも一つの考えです」と外来担当医のA先生が透析病室に緊急入院した私を気遣ってわざわざ病室まで来てくれて慰めてくれたことを思い出した。
そのとき、なぜか、はらはらと涙が流れて仕方がなかった。
自分では意識しなかったが、傍目にはよほどショックを受けていたように見えたのだろう。
そう言えば、最初、私が入院するということを聞いた4才の孫が「じいちゃん、死ぬの嫌だ」と泣き出したこともあった。
「いや、じいちゃんはね、元気になりに入院するんだよ」と言って慰めたものだ。
やはり、初志貫徹で、腹膜透析すべきかなと思い始めたとき、「いつになったら腹膜透析にきりかえるの?もうやめたの」と妻に聞かれて、腹膜透析を決断した。
腹膜透析をするには、また手術をしなければならず、訓練のため1週間から10日入院しなければならない。
腹膜の性能が良くなければ、血液透析を併用しなければならない。
ま、いろいろ大変なので、なかなか決断がつかなかったのだ。
<ー3に続く>
2020年の12月2日にt通院していたT大学病院に緊急入院していよいよ透析生活に入ることになったのだが、その前にすぐにシャントを作る手術をしなければならなかった。
わずか一年前のことだが、詳細はもうはっきりとはおぼえていないが、それと平行して胃や大腸それから心臓の検査もした。
身体中いじくり回されるのは嫌だったが、一度一度死んだようなものだから、痛かろうと気持ちが悪かろうとどうにでもなれと言う気持ちだった。
検査で胃に少量のピロリ菌と心臓に異常が見つかったのは意外だったが、血液透析に支障が出る程ではなかった。
血液透析する前には尿毒症の症状が出ていたはずだが、ほとんど自覚していなかった。
しかし、思い返せば、あれがそうだったかと思うことがあった。
全身の痒み、食欲不振、身体のふらつき、足のむくみなどだ。
特に足のむくみは、入院するまではなかったことで、入院して1週間目頃から急にむくみだした。
利尿剤を飲んで2日くらいでむくみは消えたが、自分の足とは思えないほど膨れたのには驚いた。
家にいたときにはわからなかった食欲不振もはっきりと自覚したのは、入院して4,5日してからだ。
だいたい透析食はマズイものだが、それだけではなかった。
普段から薄味で、好き嫌いのない自分なのに、出される食事の半分食べるのが精一杯なのだ。
しかし、何がいけないのかはっきりわかった。
透析食は、生野菜、生フルーツがカリウム制限で一切ないことだ。
妻が内緒で差し入れてくれたミカンを食べると、ホントに生き返るような思いがしたよ。
食べる量が半分になったからか、必ず便秘をするのも苦痛だった。
医者に聞くと、2日出ないのは便秘と言えませんといわれたが、カチンカチンに便が固くなって、出てこないのにはまいった。
その上、食欲不振で便秘なのに、胃と大腸の内視鏡検査の前に下剤を2リットル飲まないといけなかったのだが、これがまあ想像を絶する苦しさ。
何とか全部出し終わって、様子を見にきた看護婦が、私の顔を見て、「まあ、げっそりしたわね」と言ったものだ。
入院生活で一番苦しかったのは、便秘だったことかな。
腎臓がダメになると、必須栄養素であるリンが排出されないので、それを排出する錠剤を飲むのだが、するとどうしても便秘になるらしい。
あれこれ便秘薬や軟便剤を変え、一番身体にあった軟便剤を飲むことで、ようやく便秘はある程度改善した。
入院して10日過ぎて、シャント手術の抜糸も終わり、ようやく血液透析が始まった。
最初は2時間、翌日から4時間の血液透析で、隔日になった。
2日目の時だ。
隣の男性の透析患者だが、初めてなのか、また血管が細いのか、針がなかなか通らず、拷問を受けているような悲鳴を上げ出した。
私も血管が曲がっているのか、針が刺し憎そうだったが、痛み止めもしているので、耐えられないことはなかったが、その耐えられないような悲鳴が何度も絶え絶えに上がるのにショックを受けた。
何だ、男のくせに、と思ったが、悲鳴を上げると痛みや恐怖を抑える効果があるのは確かだ。
また、悲鳴を上げているからと言って、痛みに耐えていないわけではないと思い直した。
透析室で悲鳴を聞いたのはそれ一度きりだった。
血液透析を始めると、便秘以外の何もかもが劇的に改善し、お腹が空いていくらでも食べられるようになったし、痒みも嘘のように消え、歩いてもふらつかず、早く血液透析を受けるべきだったと思うようになった。
1週間程度のトレーニングが終わると、異常なければ退院だが、心臓のエコー検査で異常が見つかり、このまま入院して、心臓の内視鏡検査を受けるか決めることになった。
内視鏡検査は、多分、翌年になるとのことなので、一旦退院して、退院後の希望病院を紹介して貰うことになった。
同時に、病院のケアマネージャーが来て、医療費の助成措置や身体障害者手帳の交付申請についてアドヴァイスしてくれ、妻が市役所に行き、手続き等をしてくれた。
透析には莫大なお金が掛かり、公的な助成措置を受けなければ、とても個人負担は出来ず、尿毒症で苦しみながら、数日で死ななければならない。
また、血液透析はなかなか体力が要るので、心臓が弱かったりすると、1回ごとの透析のたびに体力を消耗し、やがて透析を受けることが苦痛になるらしく、血液透析をストップして、自死を願う人もいるらしい。
しかし、血液透析も、5年後の生存確率が50%と言うから、5年の命と考え、出来るだけ、体力維持に努め、透析を受けた後の快適感を味わいたいと思った。
5年後の生存確率が50%というのは、昔、年代別人口統計の推移を調べたことがあって、だいたい60才を過ぎたら、透析患者でなくても5年後に生き残った割合は50%だった。
ま、平均寿命が延びているから、もう少し多いのかもしれないが。
コロナ・パンデミックで一時期死者の数が注目されたが、コロナでなくとも、一日3000人から死んでいるので、原因が何だろうと、全体数が目立って多くなければ、統計的には大したことない。
幸いワクチン接種がある程度行き渡り、コロナ死者数も減れば、死者の総数は減るはずだが、統計的にはどうなっているのか興味深い。
今年夏のデルタ株の感染拡大も、弱毒化かワクチンの効果か重症化率や致死率は極めて低く、マスコミが騒いだ割には大したことがなかった。
ま、全体のことは、どうでもいい。
コロナ・パンデミックで色々な統計的な嘘が暴かれたのは、面白いが。
とにかく、そういうわけで、退院することになったが、5日くらい前に急に病室を変わってくれということになって、隣の緊急患者ではない患者用の病棟に移った。
造りは似ていたが、古くて、少し暗かった。
巨大な体重計と尿量分析計があって、自分で量らなければならなかった。
しかし、統計を取ることもなく、何のためにしているのかよくわからなかった。
とうとう退院する日が来、妻と息子が迎えに来てくれた。
退院して2日後、紹介してくれた近くのK病院に透析に行くことになった。
K病院は、親父が前立腺癌の検査手術で入院して以来の訪問だったが、場所も新しく変わり、きれいになって、透析室もT大学病院よりも大きかった。
スタッフも親切で丁寧だし、透析針を刺してくれる医者も上手だった。
医者は当時は副院長だったが、半年も経たないうちに院長になった。
年末まで火木土のペースで午後から通院していたが、一通り検査をしたところ、シャントが塞がりかけているのが見つかり、1月2日にシャントの開通手術を受けることになった。
T大学病院には、1月8日に心臓の内視鏡検査があり、前後、2泊3日の入院をしなければならなくなっていた。
透析のスケジュール調整が面倒だったが、K病院の対応がしっかりしていたので、ますます安心感を持った。
ー続くー
今年もよろしく 令和3年元旦
去年は、12月に体調が明らかに悪くなり、3日に徳大病院に行ったところ、即入院、7日にシャント形成手術、11日に初透析をし、私も晴れて事実上1級身体障害者となった。
驚いたことには、透析を始めると、身体の色々な不調が嘘のように消え去り、楽になったことだ。
食欲も一時は母みたいに摂食障害で死ぬのではないかと思ったくらい全然食べられなかったのだが、今やお腹が空いて空いてついつい食べ過ぎるくらいにまで回復した。
しかし、一日おきに透析をしないとお陀仏になるのは確かだから、危うい状況にあるのには変わりない。
まあ、これで一回死んだようなもので、5年先の生存率は50%というから、これからの人生はおまけみたいなものと観念した。
なお、年賀状は今年も沢山いただいたが、去年こっきりで止めたので欠礼する。
別にしたいこともできることも大してないので、これからはできるだけ積ん読本を読破することに力を注ごうと思う。
さて、例によって去年読んだ本ベスト3だ。
去年はSFの長編を全然読んでいないことに気がついた。
100年に一度という新型コロナ・パンデミックというSFの破滅テーマ作品で見るような事態が発生し、それに対するワクチンは思いの外早く各種できたが、ウィルスは変異し、また新たな感染拡大の様相を示し始め、今なお終息は見通せない状況だ。
こういうときにSFは、やはり絵空事の感は否めない。
SFでは、「時間SF傑作選ここがウィネトカなら君はジュディ」の短編集の12本と幾つかだけだ。
これらについては、SFにおける時間の扱いについて俯瞰する意味で成果があったと思う。
しかし、あくまで短編なので、今年はSF以外の本でベスト3を組んでみた。
1 「救急精神病棟」(野村進)
認知症、統合失調症、うつ病などが身近になり、誰もが精神病になるリスクがある。
また、精神病ではないが、自己愛性やパニックなどの人格障害が表面化する人も多くなっているように思う。
救急精神病棟は、統合失調症(精神分裂病)とうつ病の救急患者を扱うが、上記の病気や障害が複雑に絡み合っているのが現実だ。
この本は、多くの患者例や医師の所見などが含まれており、関心のある人には、大いに参考になると思う。
2「毒舌日本史」(今東光)
私でもやはり世代が著者とは違うので、漢字や人名を調べながら読んだ。
ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しいとされる言い回し)の偽善に慣れた人なら、焚書絶版にしたいだろう本だが、あいにく、私はこのような禁書の類いが大好きなのだ。
日本史をしっかり勉強したい人間には、格好の本だと思う。
3「特捜部Qカルテ番号64」(ユッシ・エーズラ・オールスン)
やはり、特捜部Qシリーズから一つと思い、悩んだが、社会性という観点から、これにした。
これを読めば社会主義と優生思想の親和性を思い知るだろう。
ハーバート・スペンサーの優生思想というのは、根強く今も息づいている。
ナチス・ドイツの「ユダヤ人問題の最終的解決」など、その暴走にだけ目が行くが、生存競争というのが全生物の性である以上、決して否定できるものではない。
この本は、優生思想の被害にあったある女性の復讐物語であるのだが、単なるミステリを超えた告発の書でもある。
以上。